FISPA便り「都市対抗野球に見る産業史」

 過日、繊維ファッションSCM推進協議会会長である馬場彰オンワードホールディングス最高顧問と美酒を傾けながら、歓談させていただく機会がありました。プロ野球のクライマックスシリーズで巨人がヤクルトに敗退した翌日でしたので、話題は自然に野球になりました。馬場さんは、知る人ぞ知る「巨人ファン」。原監督の采配、主力選手の不振を嘆くことしきりでした。 

 話題は「ディー・エヌ・エー(DeNA)」による横浜ベイスターズの買収問題に移り、さらには「楽天」の好業績へと飛び火しました。楽天といい、DeNAといい、IT(情報技術)革命時代を象徴する急成長企業です。馬場さんは、「在庫を持たないで済む商売は強いよな」と一言。オンワードグループをアパレル産業のリーディング企業に育てた名経営者らしい余韻のある発言で、野球談議はひとまず終了しました。 

 その夜、帰宅して思い出したことがあります。都市対抗野球の出場チームのことです。都市対抗野球は昭和2年に第1回大会が開かれ、戦時中の3年間こそ中断したものの今回で82回を数えます。この間、出場チームの変遷を見ると、基幹産業の変遷がはっきりと浮かび上がってきます。 

 第1回大会の優勝チームは、何と「大連市・満鉄倶楽部」です。その後、繊維産業は全盛期を迎えます。今はなき鐘紡の「全鐘紡」は50年代初めに三連覇を達成するなど、強豪として知られました。当時は、鐘紡の同業である紡績や化繊メーカーからも多くの企業チームが出場したのです。 

 ところが、繊維業界のチームは昭和47年に、東洋紡(岩国市)とクラレ(岡山市)が出場したのを最後に都市対抗野球から姿を消しました。 

 出場チームは、日本が高度成長を辿る中で鉄鋼、化学、自動車など重厚長大産業へと主力が移り、そして、今年の決勝戦はNTT東日本(東京都)とJR東日本(東京都)で争われJR東日本が初優勝を飾りました。 

 「JR」グループ各社は、商業施設の経営でも好成績をあげています。当面、「JR」の快進撃が続くのでしょうか。

 

(聖生清重)