FISPA便り「富岡製糸の世界遺産と片倉工業の英断」

富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産に登録され、群馬県富岡市は連日、大勢の観光客で賑わっています。明治5年(1872)創業の富岡製糸場の価値は近代化遺産として、世界遺産に登録されたことで証明されていますが、世界遺産への道程を振り返ると、片倉工業と言う一民間会社の英断が輝いていることに気づきます。

富岡製糸場が、官営の工場として操業を開始したことはご承知の通りです。近代的な製糸技術の普及に大きく貢献し、まさしく明治時代の近代化の礎としての役割を果たしました。片倉工業は昭和13年(1939)に富岡製糸場の運営に関わり、昭和62年(1987)まで操業を続けました。しかし、中国やブラジルの養蚕、製糸業の台頭に伴い、国内の養蚕、製糸業は次第に競争力を失い、ついには工場の操業を停止せざるを得なくなりました。

伝統ある工場の操業停止に際して、片倉工業の柳沢晴夫社長(当時)は、閉所式で「工場が物心両面で若々しく活気をもって生き永らえていくよう、管理・運営を図っていく」とあいさつしました(読売新聞群馬版6月24日付)。以来、同社は利益を上げないばかりか、維持管理費を負担してまで創業当時の建物をほぼ完全な形で今日に引き継いできました。

「貸さず、売らず、壊さず」を掲げて、「富国強兵、殖産興業に心血を注いでこられた意気盛んな心」を建物とともに継承してきたのです。その精神に心からの敬意を表したいと思います。日本の紡績会社の多くが、先人が築いた工場を赤字の穴埋めのために売却してきた歴史を見る時、片倉工業の精神がひと際光ります。

利益をあげない工場の維持に対して、同社の株主も異議を唱えなかったようです。おそらく、欧米の株主なら「遊休資産の早期売却」を声高に主張したでしょう。「だから日本的経営は優れている」と単純に主張するつもりはありませんが、少なくとも片倉工業のトップをはじめ多くの関係者には最大の賛辞がささげられてしかるべきでしょう。

富岡製糸場を訪れる観光客にも、片倉工業の「CSR(企業の社会的責任)」を知ってもらいたいものです。

(聖生清重)