FISPA便り「陰徳あれば陽報あり」

ある日ある時、ある霞が関の若手官僚と雑談していた時のことです。その時、若手官僚が発した言葉がずっと忘れられず、以来、何かの拍子に思い出します。

その言葉とはこうです。「官僚を志望したのは、国家に関する仕事がしたかったからです。元々は、政治家志望でしたが、ある人に『人が見ている時にはゴミを拾うが、人が見ていない時には捨てることができないと政治家には向かない』と言われ、よくよく考えた結果、自分は政治家には向かないと方針転換したのです」。

ちょっと、できすぎの話かもしれません。しかし、その若手官僚は、誠実な人柄で、仕事にも情熱的に取り組んでいます。大風呂敷を広げることもなく、物事を斜に構える性質でもありません。もちろん、政治家がなべて、若手官僚が言われたような人物だとは思いません。人が見ていても、見ていなくても拾うべきゴミは拾うでしょう。

この言葉を思い出したのは、去る8月27日付繊研新聞の「視点」と題したコラムが記憶に残っていたからです。「接客」の見出しが付いたコラムの要旨は「あるセレクトショップでの話。男性客が興味を持った商品を手に試着室に入った。男性客の靴が汚れているのに気づいた店員は、客が試着している間に靴を磨いておいた」というものです。客がいたく感動したことはいうまでもありません。

コラムは「マニュアルに書かれていないことでもすすんでやる。最後は人間力の勝負ということか」と結んでいますが、「政治家とゴミ拾い」で言えば、店員はおそらく「人が見ていても、見ていなくても、やるべきことをやる」のでしょう。

店員にとって、「靴磨き」は当たり前の行為なのでしょう。日々の生活でも、ちょっとした善行を当たり前のように行っているのではないでしょうか。性格が良く、細部まで気配りできる、明朗な若い店員のイメージが浮かびます。

「陰徳」という言葉があります。広辞苑によりますと「人に知れないように施す恩徳」とあります。「陰徳あれば必ず陽報あり」とも言います。自らを省みて「店員」を見習うことにしたいと思っていますが、さて。

(聖生清重)