FISPA便り「歴史に学ぶと言うけれど」

 新型コロナウイルス感染症との戦いは、去る14日の39県を対象にした緊急事態宣言の解除で新たな段階に入りました。解除後の世界は、コロナ以前のそれと同じではなく、コロナウイルスとの長い戦いを戦う世界で「新しい日常」が最重要な従来とは異なった世界だとされています。

 人の移動を制限する。人と人の物理的な間隔を空ける。人の行動は、私たちの生活や経済活動の根本にある。そのことを外出自粛や休業で誰もが身に染みて感じています。本来、自由であるべき行動が自由でなくなった時、人々は強いストレスを感じ、経済活動はいかに深刻な影響を受けるものなのか。新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、日本だけでなく世界の多くの人々が身につまされて感じていることでしょう。

 さて、緊急事態宣言解除後の社会です。安倍首相は「感染拡大を予防しながら社会経済活動を本格的に回復させる『新たな日常』を作り上げる」と強調しました。「新たな日常」は、感染を再拡大させないためには、必要不可欠なものですが、新たな日常の世界とは、果たしてどんな世界なのか。何が大事なのか。ちょっと考えてみました。

 ビジネスの世界では、テレワーク、テレビ会議など「新しい働き方」が広がる。教育現場でも「オンライン授業」が増える。個人の生活でも「オンライン飲み会」などが広まる、などIT社会らしいスタイルが増えそうです。しかし、それはそれとして、リアル(現実)への欲求がなくなるわけではないでしょう。生身の人間同士の飲み会に代表されるような人と人のつながりは、万全な感染対策を講じた上で、できるだけ早期に復活させたいものです。

 未来を予測する際、ドイツの鉄血宰相、ビズマルクの言葉だという「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」が引き合いに出されることが少なくありません。多くの経営者が好きな言葉にあげている、この言葉を参考にして「新しい日常」を愚考した時、ふと「絆」という言葉がひらめきました。特に、9年前の東日本大震災の災禍に見舞われた人々をはじめ、日本中の人々が「絆」によって生きる力を得ることができた、と話していたことです。

 「愚者は経験に学ぶ」そうですが、大震災という災禍で学んだ経験は、今回のコロナウイルスによる「新しい日常」でも大事な言葉になるのではないでしょうか。医療従事者への差別、不確かな情報で特定の人を中傷し、嫌悪する「自粛ポリス」、非難されるべき、そうした人にも、人と人のつながりの大切さを9年前の「絆」の経験で想起してもらいたいものです。      

(聖生清重)