FISPA便り「ファッションとアートの東西交流展」

  ファッションとアートにおける日本と西洋の交流の跡を見せる展覧会が1859(安政6)年に開港し、交易と東西文化の玄関口になった横浜の横浜美術館で開かれています。横浜では初めての展示となる京都服飾文化研究財団(KCI)所蔵のドレスや服飾品約100点を中心に国内外の美術館や個人が所蔵する服飾品、工芸品、絵画、写真など約200点を展覧し、日本と西洋が互いの装いと生活文化をどのように受容、展開、新しい美を見出していったのかを紹介しています。

 開港後の横浜には外国人居留地が設けられ、商館やホテルが建ち並ぶと、進取の気風に富んだ実業家や優れた工芸技術を持つ職人が日本各地から横浜に集まるようになりました。そうした中で羽二重に手差しでキルティングを施した室内着や超絶技法の陶磁器などが横浜で制作され、輸出されました。ドレスのような室内着の裾には草花の刺繍が施されています。言わば日本アパレル製品の輸出第一号と言えるものです。

 開港から明治維新を経て、明治政府は欧化政策を推進します。近代国家の建設を目指し、西洋文化を積極的に取り入れ、人々の生活は大きく変化します。服装はその代表です。皇族や華族が洋装を取り入れ、次第に一般にも普及して行きました。展示されている「昭憲皇太后着用の大礼服」は豪華そのものですが、それは一般女性の洋装化に波及効果をもたらせました。文明開化の時代を生きた女性の錦絵や美人画家の鏑木清方が描いた女性像からも当時の洋風風俗が伺えます。

 日本が西洋の文化を受容する一方、西洋では19世紀後半にジャポニズムの一大ブームが起こりました。パリやロンドンの万国博覧会に出品された日本の美術品や工芸品が西洋の人々を魅了したのです。シャネルの「イブニングドレス」は蒔絵のように繊細な金糸の紋様が美しく、ジャンヌ・ランバンの真っ赤な「イブニングコート」はキモノそのもののようです。

 異なる文化が接触することで、相互の文化を受容しあう。その結果、新たな文化を生み出す。「海の向こうへの憧れが、新しい装いと美を生み出した」。展覧会のチラシの見出しです。交流展は6月25日(日)まで横浜美術館で開かれています。                     

(聖生清重)