FISPA便り「生きる上で必要なもの・コト」
夏になると、必ず思い出し、しばし考え込む一文があります。夏にふさわしいアウトドアに関係する内容で、脚本家の倉本聰さんのエッセーがそれです。「人」と題したそのエッセーは、倉本さんが塾長を務めていた北海道の脚本家・俳優養成の富良野塾(現在は、閉塾)の塾生数十人に「生活必需品を10ずつあげよ」と問い、出てきた結果から「塾生に教えられた」と書いているものです。
アンケート結果を集計して1位から順に並べたところ、上位3つは、「水」、「火」、「ナイフ」だったそうです。あるテレビ局のプロデューサーにこの話をし、その人が都会の若者に同様のアンケートを行った結果は、「金」、「ケイタイ」、「テレビ」でした。
この結果について「言いようのない感動を覚えた」倉本さんは「原点に近い暮らしをしていると、自分の暮らしを支えている根源を常に見据えて立つ癖がつく。豊かといわれる都会の暮らしでは、根源が豊かさに埋没し、座標軸自体がゆらいでくる」と書いていますが、もうひとつ倉本さんを感動させた答えがあったのです。
塾生へのアンケートの第14位に「人」という答えが3票入っていました。「異性である必要はない。自分は絶対に一人では生きられない気がする。そばに誰かしら人がいて欲しい。故に人間は自分にとってまちがいなく生活必需品である」ということがその理由です。
倉本さんは「あまりにも人が多すぎる為にそのことを忘れていた自分に気づき、僕は塾生に教えられた」とそのエッセーを結んでいます。
筆者の周辺では、最近、現役を引退する友人、知人が増えています。そのため、くだんのエッセーを再読してこう思いました。引退後の人生で必要なこととして話題になる「キョウヨウ」と「キョウイク」との関係です。「今日、(何らかの)用事がある」の「キョウヨウ」と「今日、(どこかに)行く」の「キョウイク」は、両方とも「人」の存在が不可欠なように思えます。
「キョウヨウ」と「キョウイク」は、人にとっての「生活必需品」で、それは倉本さんの言う「原点に近い暮らし」なのでしょう。
(聖生清重)