FISPA便り「新井淳一さん逝去に思うこと」

見たことのない布の創造に生涯を賭けたテキスタイル・プランナーの新井淳一さんが先月25日、死去しました。享年85歳。新井さんは2001年には肺がん、胃がんを患いましたが、その後も「新しい布」への夢はいささかも失わず、昨年、お邪魔した際も少年のような瞳のままで「創造的な布」の話を情熱的に語っていました。

 新井さんは、1932年、桐生市の機屋に生まれ、地元の桐生高校を卒業後は、カスリーン台風被害で大学進学をあきらめ、家業に従事しながら「見たことのない」布の創造に一貫して取り組んできました。

 新井さんの布づくりを桐生タイムス紙は、こう表現しています。「高度なコンピューター・ワークと自らの手で絞り鍋で煮、畳んで真空熱転写や圧縮をかけるなどの技を駆使、天然素材だけでなく金属や化合繊も用いて非常識な織物の構造に挑戦した」。筆者も金属繊維でつくった作品を拝見したことがありますが、見た目のズッシリ感に対して、触れると驚くほど軽やかだったことが強く印象に残っています。

 新井さんの功績は、毎日ファッション大賞特別章、英国王室芸術協会名誉会員、国際繊維学会デザイナー勲章、英国王立芸術大学院名誉博士号、文化庁長官表彰の栄誉に示されるように「テキスタイル」を「アート」に高めたところにあるように思います。

 しかし、だからと言うべきか、ビジネス的には苦労の方が多かったように見えます。倒産も経験しました。その辺は2015年9月7日配信の当コラムでも触れていますが、その足跡を見ると、日本人ファッションデザイナーのパリ・コレクション進出を素材面で支えた新井さんのテキスタイルデザインの功績はコスチュームデザイナーの光の陰に埋没しすぎているように思えてなりません。

 高校時代は、文芸部員だった新井さん。書、文章とも第一級の腕前でアーティストとの交流も豊かでした。布を愛し、文学、芸術を愛した新井さん。やすらかにお眠りください。                   

(聖生清重)