FISPA便り「『織都』の願い」
桐生市は「織都」と呼ばれ、古くから繊産産業が盛んな街です。現在も先染め織物に代表される織物だけでなく、糸加工、染色加工、刺繍、縫製なども含む繊維の総合産地として知られています。
その桐生産地ならではの「桐生織塾」という施設があります。「織の文化」を間近で見て、触れて、学べる場所です。塾は築180年。桐生の本格的なマニュファクチュア創業家ゆかりの建物。塾長は、新井求美さん。桐生に生まれ、育ち、桐生で創作している世界的なテキスタイル・プランナー新井淳一さんの娘さんです。
その求美さんが、去る10月23日付の群馬県紙、上毛新聞の「視点」欄で「貴重な遺産 風化防ごう」と題して、桐生が保有する貴重な遺産の現状に対して、自問の形で“警鐘”を鳴らしています。
求美さんによると、桐生の桐生地域地場産業振興センターには、約2000点もの世界の染織品が収録されています。発端は1980年8月。1200点の資料を展示した「民族衣裳と染織展」の開催。実に2日間で7000人もの入場者があったそうです。繊維業者だけでなく、大勢の一般市民も足を運んだことがわかります。
この展示会を中心になって企画、実行した桐生織塾の前塾長の武藤和夫さん、求美さんの父の新井淳一さん達は、展示会後も民族染織品の収集を続け、後援者の支援もあって、2000点もの資料が集まったのです。
しかし、当時の中心メンバーは高齢化し、徹夜で展示したボランティアの若者達も現役引退の年齢になり、桐生に貴重なコレクションを見に来る人も多くはないのが実情だそうです。
1980年に開かれた展示会の趣旨は「何でも作れる産地から、企画力を持ち発信する産地になる第一歩」でした。ある人は「このエネルギーの次なる大噴火に期待する」と感想文を記しています。
求美さんは「私はその残り火を囲炉裏で燃やしているのでしょうか」と書いていますが、残り火があるうちに、大噴火は無理だとしても、もう一度、噴火してもらいたいものだと思います。それは「織都」の願いでもあるのです。
(聖生清重)