FISPA便り「難局に挑むファッション生産者」

東日本大震災に加えて福島第一原発事故で被災した縫製企業やニッターの経営者の話をお聞きし、改めて胸が詰まりました。SCM推進協議会の取引改革委員会委員で日本ニット工業組合連合会常任顧問の樋口修一フロンティア・ヒグチ会長も被害者の一人です。樋口さんが、心血を注いで経営している福島県の工場(2工場)のうち、川俣町山木屋地区の工場は計画的避難区域です。そのため、樋口さんの第二工場は震災以来ストップしたままです。 

今回の「3・11」では、実に大勢の人々が、肉親や大事な財産を失い塗炭の苦しみに喘いでいます。放射能汚染によって他地域への避難を余儀なくされた福島県民は二重の被害に直撃されました。幸いなことに、20km外に立地する縫製企業やニッターは、被害の程度はさまざまですが、ほとんどの経営者が「事業の目的は継続すること」との確固たる意思を持って、事業の再開と継続に日夜尽力しています。 

「操業は再開したが、主力の従業員が子供の健康被害を恐れて東京などに避難したため生産性が大幅に低下してしまった。受注は十分あるだけにフル稼働できないのが辛い」とのある縫製企業の経営者の声は代表的なものです。警戒区域に立地する工場は再開の見通しが全く立ちませんが、それ以外の地区では多くの工場がフル操業ではないものの操業を再開しています。 

悲惨な話が多い中で救いなのは、多くの工場経営者の事業継続への強い意志とアパレル生産の国内回帰の傾向が顕著なことです。中国での大幅なコストアップによるものですが、「高品質・小ロット・短納期」の“ジャパン・オリジナル”が確かに見直されています。そんな矢先の大震災ですが、樋口さんを筆頭に被災地の経営者は、大震災にめげてはいません。

幸い、被災地の生産者から、SCM推進協議会に対して「下請け法違反」などの事例は寄せられていません。発注側のアパレ企業も、震災直後こそ発注を控えたそうですが、原子力の風評被害が収まるにつれ、丁寧で、確かな「メード・イン・ジャパン」ファッションへの発注を再開したとのことです。東北から世界へ、日本ファッションを発信。繊維ファッション業界あげて、本格的な復興を支援したいものです。 

(聖生清重)