FISPA便り「ハイテク・ローテクと新・ローテク」
ハイテクという言葉が流行ったのは、もう、ずいぶん前のことのような気がします。高度技術のことで、明るい未来を感じさせる響きがありました。技術が経営の基盤である製造企業の経営計画では、「ハイテク」をより高度化することで競争優位を確かなものにするといった期待が込められていました。
そんな時代のことです。技術力では定評のある、ある製造業大手のトップと話していた時、そのトップの発言に考えさせられたことがあります。「ハイテクは株価には効く(株が買われる材料)が、儲けているのはローテクだ」と言ったのです。ハイテクの重要性は、もちろんですが、実際、現実のビジネスで利益をあげているのは、古い設備が生み出す「高付加価値素材」だと言うのです。
ハイテクを追求しなければ未来は明るくなく、そのためにはローテクを大事にしなければならない。経営トップたるもの、華やかな先端技術分野ばかりでなく、地味なローテク分野にも目を向けなければ、先端技術も危ういものになってしまう。くだんの経営トップの自戒の弁は、強く印象に残っています。
何故、こんなことを思い出したのかというと、最近、読んだ繊維専門紙の記事で尾州産地に「ションヘル織機研究部」が発足したことを知ったからです。「低速機で生産性は低いが、意匠織物の生産には向く」織機で織物設計や製織技術を継承するとともに、若手人材の交流の場にしようと15人程度で活動をスタートするそうです。
日本のような先進国で繊維産業が生き残る道は、大量生産・大量販売でないことはヨーロッパや米国の繊維産業の歴史が証明しています。日本も同様の歴史を歩んでいます。一方、先進国であっても、イタリアが典型ですが、高いファッション性を付与し、付加価値を高めた繊維産業は確実に存在しています。
ションヘル織機によるテキスタイル生産を「ローテク」と言っては失礼でしょう。そうではなく、職人技と機械の協同作業という高度な「新・ローテク」と言えるのではないでしょうか。そこから新しいファッションが生まれる。ハイテクに感じる明るい未来が「新・ローテク」からも見えるような気がします。
(聖生清重)