FISPA便り「大事なときは人事不省」
いつ頃のことだったでしょうか。結婚披露宴で祝辞を述べる際、よく引用された詩があります。吉野弘の「二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい」ではじまる「祝婚歌」です。
吉野弘詩集には、「漢字遊び」に分類される詩が収められていて、その中に○○省の不祥事が報道されるたびに思い出す詩があります。今回も厚生労働省の不適切統計問題で思い出しました。
「省」と題した詩は、少々、長いのですが以下、全文を引用します。
「省」は「少」と「目」の合成字
「少」の音の表す意味は「障(しょう)」で 「障」は〈覆い隠す〉意味 従って「省」は〈目が覆い隠されて明視できないこと〉
はて? と私は首をかしげる “何々省”というお役所は物が見えない所だったのか 「省」をそのまま読み下せば〈少ない目〉 目が少なければ、見える範囲も狭いだろう 視野の限られたお役所では心もとない かくては「省」も立つ瀬があるまいと 他の辞書を引きましたら、別の解説がありました
「省」は「之」と「目」の合成字 「少」は「之(し)」の変形 「之」の意味は〈行く・出る〉 従って「省」は〈行く目・出向く目〉 〈見るべきものに充分、目を配ること〉 〈省みる〉〈反省〉の意味も、ここから生じた
―となれば、何も案ずることはない 〈隅々まで目の届くお役所〉こそが“何々省” それに引き換え、私はと言えば もともと反省癖はなく 面倒なことは何でも「省き」 大事なときは“人事不省”
何年も前の思い出です。繊維記者になって間もないころ、1970年代だったと思います。ある先輩記者が「忙しい」と「心」を「亡ぼす」のだ、と言って、いつも酔っ払っていました。そのときは、「ふ~ん」とやり過ごしていましたが、本当に忙しかったとき、その先輩の一言がいつもよみがえりました。過労死の事件を耳にするたびに思い出します一言でもあります。
それはともかく、「何々省」は、「隅々まで目の届くお役所」であってほしいと思います。
(聖生清重)