FISPA便り「金字塔も小さな一歩から」
あのイチローが、現役引退を表明しました。日米での活躍ぶりは、まさしく国民栄誉賞にふさわしいと思います。ストイックで野球に没頭するイチローの姿勢は、一途に「野球道」を追求する孤高の求道者のように見えて自然に頭が下がります。日米通算4367安打など数々の記録は、気が遠くなるような数字です。
打って良し、走って良し、守って良しの三拍子そろった選手としても日米両国の野球ファンを魅了しました。スポーツ選手は、いずれは引退の時を迎えますが、イチローの今春での引退表明は、春が出会いと別れの季節であることから、いつになく感慨を呼ぶのではないでしょうか。
今春は、桜の開花が早まりました。春の彼岸には咲き始めたところもあります。華やかな桜花と惜しまれながら散りゆく桜花。満開の桜と散華するさくらも現役選手としてのイチローに重なります。
イチローのコメントで印象に残っているものがあります。安打の記録を次々と塗り替えていたころのコメントで、こんな趣旨でした。「最初から2000本とか3000本も打とうと思うと不可能に思える。まずは、目の前の打席で1本打つこと。記録はその結果、ついてくる」。
随分前のことですが、このコメントを新聞で読んで、思い出した発言がありました。伊藤忠商事代表取締役会長CEOの岡藤正広さんの発言です。岡藤さんは、伊藤忠のトップ経営者として敏腕を振るっていますが、その前は伊藤忠の祖業である繊維事業を担当する繊維カンパニープレジデントでした。
岡藤さんが繊維カンパニープレジデントに就いたころ、繊維はすでに成熟産業でした。産業構造の変化の中で資源や機械、エレクトロニクス、メディカルなどに比べて成長余力が乏しい事業でした。しかし、岡藤さんは「ブランド」に着目して、ブランドビジネスをけん引役に同業他社の10倍以上の純利益を稼ぐまでに事業構造を転換させることに成功しました。純利益の目標は、不可能と思える300億円だったと思います。
当時、筆者は繊維記者として岡藤さんへ取材したのですが、その時、岡藤さんはこう発言したのです。「最初から300億円稼ぐ、と思うと、難しいと思わざるを得ない。だから、まずは1億円を目標にする。それなら可能だ。そして、その積み重ねが300億円になる」。こんな趣旨でした。
イチローの記録と岡藤さんの経営手法を同一視するのではありません。しかし、大記録や高い経営目標も、小さな一歩から踏み出し、その積み重ねの結果であることはその通りだと思います。
春、新しい世界に踏み込むすべの人に送りたい言葉です。
(聖生清重)