FISPA便り「倚りかからず」
この詩を読んだ時は、かなり衝撃的でした。ガーンと一撃をくらったかのように、しばし、考えることさえ忘れ、作者の精神の強さに呆然とするばかりでした。
2006年に亡くなった詩人、茨木のり子の「倚りかからず」と題した一編の詩です。
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の荷もたれだけ
この詩が掲載されている「倚りかからず」は、茨木さんの第8詩集で、この時、茨木さんは古希を迎えていたそうです。去る2月17日付日本経済新聞日曜版で知ったのですが、その記事で文芸評論家の若松英輔氏は、茨木さんを「見えるものの奥に見えないものを感じる詩人」と評していましたが、筆者は、作者の精神の強さに圧倒されました。
以来、ことあるたびに「倚りかからず」を開いていますが、今回、このコラムで紹介したのは、8月は6日の広島、9日の長崎と2度の原爆記念日、15日の終戦記念日があり、祈りと自省の季節だからです。
先の大戦で命を亡くした大勢の方々の魂に祈りをささげる。帰省の際の墓参りで先祖の霊に手を合わせる。輪になって踊る盆踊りでも鎮護の願いが漂っていることでしょう。
そして、自らの来し方を振り返り、行く末に思いを馳せる時間もあるのではないでしょうか。そんな自省のひと時、筆者は「自分の二本足のみで立っていて なに 不都合のことやある」と宣言したいと思っていますが、さて、どうなることやら。
(聖生清重)