FISPA便り「運動会の始まり」

  2019年秋。日本のスポーツシーンは「ラグビーワールドカップ2019日本大会」で盛り上がっています。熱烈なファンはともかく、一般的にはマイナーなスポーツで弱小のイメージが強かった日本ですが、どうしてどうして、強豪国を撃破して旋風を巻き起こしています。サッカーもそうですが、ラグビーもワールドカップの常連になることを祈っている、いや、なることが間違いないと言えそうです。

  長期にわたるチーム作り、厳しい鍛錬、強い肉体と精神、科学的な分析に基づいた攻守の技の体得などが、強豪国を破り「もはや奇跡ではない」と言われるような「地力」が付いたことを感じさせるからです。

  秋は、「〇〇の秋」と呼ばれることが多いように思えます。「スポーツの秋」、「食欲の秋」、「読書の秋」などなど。農作物や果実が実り、気候も暑くもなく、寒くもないからでしょうか。人々の生活もおだやかになり、気持ちも何となく「秋の実り」に満たされた先人の遺伝子が流れているからでしょうか。

  ところで、10月10日は体育の日です。1964年の東京オリンピック開会式を記念して制定された祝日で、2000年から10月第2月曜日に変更されたことはご存じの通りです。2020年の東京オリンピック開催期間中は、1年限りで日付を移動して「スポーツの日」に改称することになっています。

  体育の日と言えば運動会ですね。全国的には10月に運動会を行う学校が多いのではないでしょうか。その運動会ですが、運動会のはじまりには面白いエピソードがあったことを「一年諸事雑記帳」(加藤秀俊著・文春文庫)で知りました。

  それによると、西洋から競技、幅跳びなど、いわゆる「体育」競技が輸入されたのは明治初年。アスレチック・スポーツを日本語に訳すのは大変で、漢文学者まで動員され、「競闘遊戯会」に決定したそうです。「競闘遊戯会」は、のちに海軍兵学校となった兵学寮で行われましたが「徒競走」は「雀雛出巣」(すずめのすだち)と呼ばれました。12歳以下の少年に限られていたからです。

  こうしてはじまった体操競技を「運動会」としてさかんにしたのは開成学校。今日の東京大学です。明治8年、日本の学生がスポーツをしないことに気づいたW・ストレンジなる教師の発案で「運動会」が始まったとのことです。面白いのは競技開始の合図。コウモリ傘を頭上にかざし「よろしゅうごわすか」と選手に用意させ、おもむろに「イチ、ニ、サン」と傘をふりおろすのが作法でした。

  先覚者の苦労と努力がしのばれます。

(聖生清重)