FISPA便り「『舶来屋一代記』のページをめくって」
サンモトヤマが先月末、東京地裁に自己破産を申請し、10月1日破産開始手続きが決定したニュースを知って、とっさに思い出したのが「江戸っ子長さんの舶来屋一代記」(集英社新書、2005年7月第一刷発行)でした。メリヤス卸問屋三代目で有名ブランドのセレクトショップ、サンモトヤマを生み、育てた茂登山長市郎さんの自伝ですが、同書は個人の自伝であるとともに、日本のブランドビジネスの歴史をわかりやすく解説しています。
茂登山さんは1921年生まれの生粋の江戸っ子。2017年12月に96歳の天寿を全うしました。長さんがブランド品に出合ったのは昭和16年(1941)12月のクリスマスの頃。新兵だった長さんは中国・天津の旧租界のショーウインドウで見たブランド品に目が釘付けになりました。イエガーのカーディガン、アクアスキュータムのジャンパー、モーレーの手袋、トレンチコートはバーバリー、ダンヒルのライター、モンブランの万年筆などなど。著書によると「これらの一流品は実用性だけでなく、人間の持っている『美』への憧れを満足させるように作られている。よーし、戦地から帰ったら、こういう本物を売るんだ!」と決意したそうです。
戦地から帰った長さんはアメリカ製品を闇で売る商売から身を起こし、1964年の東京オリンピックの年に、東京・銀座の並木通りにサンモトヤマの本店をオープン、「グッチ」、「エルメス」「ロエベ」など超一流のブランドを日本に紹介してきました。そんな日本のブランドビジネスに大きな変革をもたらしたのが昭和56年(1981)のルイ・ヴィトン・ジャパンの創立でした。並木通りに最初の路面店をオープンしたのです。それまで、商社などを通じて日本市場で売られていたのが、これを機にすべて直営・直売方式に転換しました。その一方で、流通も百貨店中心から路面店や大型ホテルのショッピングアーケードに広がりました。
長さんの著書から引いたものですが、筆者は本人から直接「天津の旧租界でブランド品に出合った衝撃」をお聞きしたことがあります。その長さんが心血を注いだサンモトヤマの経営破綻のニュースは、ブランドビジネスを取り巻く環境が激変したことを痛感させられますが、同時に宣下の長さんの無念にも思いをはせざるを得ません。
今日、超一流とされるブランドはおおむね好業績を維持しているようです。しかし、日本のファッション企業が得意のベターゾーンのブランドは厳しい状況が続いています。そんな思いで、改めて「舶来屋一代記」をめくると、こんな商いの要諦が載っていました。
「商い」は「飽きない」、商売に必要なのは「感情」と「勘定」。
(聖生清重)