FISPA便り「言葉の服―『matohu』の仕事」

 日本の美を追い求め、コレクションに反映させている、ファッションブランド「matohu」(まとう)の堀畑裕之さんがエッセイ集「言葉の服 おしゃれと気づきの哲学」を出版しました、初版は昨年7月ですから、本欄での紹介がいささか遅れたきらいがありますが、いつ読んでも新鮮で心のひだに染み入る内容に圧倒されます。

   堀畑さんとの出会いは、もう随分前ですが、ベトナムのハノイで開かれたアジアファッション連合会(AFF)の大会でした。それ以前も、繊維ファッション業界の記者をしていましたから、他のブランドとは異なり、和風で異彩を放っていた案内状で知ってはいましたが、本人と話したのははじめてのことでした。

  堀畑さんは、「まとう」のパートナーの関口真希子さんとAFFハノイ大会の壇上でゲストスピーカーとして講演したのですが、その要旨は「(ファッションデザインで大事なことは)国や地域のオリジン(起源)に敬意を払うこと」というものでした。かねて、日本では官民あげて「日本発ファッションの世界への発信」に取り組んでいます。その際「日本ファッションとは、何?」という問いが筆者の胸のつかえになっていました。それが「まとう」の一言で氷解したのです。AFFの参加各国の代表団にも感銘を与えました。

  「言葉の服」です。堀畑さんは同志社大学(文)卒、同大学院哲学専攻終了です。哲学者になることを目指し、ドイツの大学に語学留学もしたのですが、「心はなぜか暗闇の中にいた」そうです。当時の心境を、こう書いています。「『観念』の世界で生きるのではなく、『手』で何かを作り出すしごとをしたい。その時、偶然私の目の前に急に広がってきたのがファッションデザインの世界だった」。

  「まとう」がデザインを始める時に最初にリサーチするのは、たったひとつの小さな「言葉」だという。たとえば「かさね」、「映り」、「ほのか」「なごり」などなど。まさしく、これこそが「日本の美」であり「日本ファッション」と言えるのではないか、と筆者は勝手に思っています。

  堀畑さんの「言葉の服」を読んで思い出したことがあります。無名の詩人が何かに「エッセイとはその人にしか書けないもの」と喝破していたことです。堀畑さんの「言葉の服」は、堀畑さんでしか書けないものなのだと思います。

  哲学の道からファッションデザインの道に針路を変えて、確かな存在感を発揮している「まとう」。堀畑さんはこうも言っています。「私は今もファッションデザインのためだけにデザインしているのではなく、服を創ることを通して『哲学している』のだと思っている」。

  一読をお勧めしたい一冊です。

 (聖生清重)