FISPA便り「今年も盆栽展に行ってきました」
「気が遠くなるようだ」。会場で見入っていた時、近くの2人連れの来場者からこんな声が聞こえてきました。「その通り」と声には出さなかったのですが、心の内でつぶやきました。先ごろ、東京都美術館で開かれた国風盆栽展。今年も大勢の盆栽ファンでにぎわっていました。海外のメディアなのでしょうか。小さなカメラで作品の細部まで撮影していて、盆栽が世界的にも注目されていることを示していました。
筆者はこの何年か、毎年、この時期に開かれる盆栽展を鑑賞しています。知人に教えてもらったことがきっかけですが、以来、毎年、楽しみにするようになりました。それまで「盆栽」と言えば、年寄りの趣味としてか思っていませんでした。TVニュースで「盆栽」は、いまや「BONSAI」として世界からも注目を集めていることは知っていましたが、盆栽展がれっきとした美術館で開かれ、芸術の域に達していることは思いもしませんでした。
国風盆栽展は今回で94回目。選ばれた290席の名品が展示されました。真っ白な幹や曲線が美しい枝。濃い緑の葉のコントラストが映える真柏。根は大地(と言っても鉢の中の土はわずかですが)をどっしりとつかみ、幹の太さは、一見して、「気が遠くなる時間」をかけて育ったことを感じさせます。
盆栽の魅力は、小さな植物の中に大宇宙を表現しているところにあると言われます。実際、盆栽は百年単位で人と自然が共に作り出してきた芸術です。会場に展示されている作品も、何人もの人がリレーのように丹精込めて仕上げてきたものです。目の前の盆栽が小さな芽を出した時、その時代はどんな様子だったのでしょう。想像するだけで不思議な気持ちになります。
盆栽は、平安時代に唐からもたらされ、江戸時代に盛んになったそうです。年寄りの趣味から芸術へ、盆栽から「BONSAI」へ、と進化してきたことは、同展が「東京都美術館」を会場にしていることでも明らかです。なぜなら、美術館は湿気が厳禁です。カビがでたら大変ですから、土を美術館内に入れることは大変なことなのです。にもかかわらず、美術館で開催されている事実が芸術としての盆栽を証明していると言えるでしょう。
それにしても「気が遠くなる」です。1本の松類やかえで、梅、ボケなどにこもっている、その膨大な時間。気が遠くなるような時間の堆積。その間に営まれた人間のさまざまな生活。「時間」というものの不思議さに思いを巡らせながら帰路につきました。
(聖生清重)