FISPA便り「エンジン、ハンドル、ブレーキ」
経済活動と感染防止。新型コロナウイルスとの戦い、と言うより「共存」と言った方が適切なのでしょう。人が生きてゆくために絶対的に必要な経済活動を行いないながら、一方ではどこに潜んでいるか分からない新型コロナウイルスの感染を抑える生活。どちらか一方ではなく、どちらも大切なことが「ウイズコロナ」社会でのあり方なのでしょう。
緊急事態宣言下での経済活動の停滞の悪影響は、連日、報じられている企業業績の悪化、失業率の上昇、貧困世帯の増加で明らかです。外出自粛によって、人の移動が激減した結果は、飲食業、宿泊業、輸送業のみならず、繊維・ファッション産業を含む、あらゆる産業に甚大な悪影響を及ぼしたことはご存じの通りです。
さりとて、米国のいくつかの州やブラジルなどでは、経済活動の早期再開に踏み切った結果、感染の再拡大を招いていると伝えられています。背に腹は代えられない、ということでしょうが、実に悩ましいことです。
いわゆる「新しい生活様式」は、大多数の国民の意識と生活に浸透しつつあります。消毒、検温、うがい、マスク着用は習慣化しているのではないでしょうか。企業活動もプロスポーツ、劇場、娯楽施設なども、工夫をこらした感染防止策を講じています。新規感染者数に一喜一憂するのではなく、一人ひとりが、感染防止に努める。企業活動をはじめ、すべての社会的な活動でも感染防止を徹底することが何よりも大事なことは間違いありません。
そんな中、作家の五木寛之の弁だという、こんな言葉に出合いました。「経済がアクセル、エンジンで、政治がハンドルならば、宗教はブレーキだ」。経済が人間社会のアクセル、エンジンであること、政治がハンドルであることに異論を唱える人はいないでしょう。アクセルの踏み方、エンジンのふかし方、ハンドルの操作に対しては様々な意見があるでしょうが、宗教がブレーキというのはどうでしょうか。
自動車はアクセル、エンジンがなければ動きません。ハンドルがなければ、方向が定まりません。同時に、安全のためにはブレーキもまた、絶対的に必要な機能です。アクセルを強く踏む。経済活動を活発に行う。ハンドルさばきを間違えない。政治の大事な役割です。その上で、必要な時にはブレーキを踏む。五木説は「宗教」ですが、「ユーモア」、「笑い」と言い換えてもよいのではないでしょうか。
感染防止に努めながらの運転。心労がたまることもあるでしょう。そんな時は、ダジャレでもおやじギャグでもはいてみる。すると精神に余裕が生まれる。五木説の「宗教」的な役割を果たせるかもしれません。
(聖生清重)