FISPA便り「言葉の流行とファッションの流行」
言葉とファッションという、人間の生活になくてはならないものは、どこかで通いあっている、との一文を読み、妙に納得させられました。詩人の茨木のり子さんが「おいてけぼり」と題した小文の中でこう書いています。
「言葉の流行と、ファッションの流行とは、どこかで通いあうものを持っている。つまり、馬鹿馬鹿しいところ、軽佻浮薄なところ、そして蘇生力、復活力の旺盛なところ、くりかえしの妙などが」
一文は「言の葉」(ちくま文庫)に収録されていて初出は「ハイファッション」(1976年7月)とあるので、時は、「アパレル」という言葉が既製服産業に置き換わり、新たな産業として急成長していたころです。
茨木さんは、ミニ全盛の当時、「ほとんどのスカートを切ってしまって、今後悔することしきり」と告白しています。それはともかく、くだんの説です。「馬鹿馬鹿しい」や「軽佻浮薄」とのやや過激な指摘には、いささか引っかからないではありませんが「蘇生力」、「復活力」には、詩人の直観の鋭さを感じます。
ファッションは、確かに、茨木さんがスカートを短く切ってしまったように深く考える前に同調する、言い換えれば、付和雷同を強いられる一面があると思います。そしてその現象は繰り返す。ファッションデザイナーのコレクションショーやパリやミラノから伝えられるファッション情報は「80年代風」といったように繰り返すことが少なくありません。
もちろん、過去に流行したファッションが「蘇生」や「復活」をしても、それは以前のままではなく、時代の変化に合わせて進化したものなのですが「繰り返す」ということに変わりはなさそうです。
茨木さんは、江戸時代の俗語の「おいてけぼり」が今に残り、「垢ぬけた女性」を「渋皮のむけた女」と言ったり「おきゃん」、「じゃじゃ馬」など女を表現する言葉を紹介していますが、いずれも時代を超えて生き残っています。ファッションも真に生命力があるものは時代を超えて生き残る。つまり、蘇生、復活するのでしょう。
言葉の流行とファッションの流行の通いあいのことです。茨木さんはこうも言っています。
「だからと言って、はやりすたりもなく、行儀よろしく、静まりかえっているばかりが能でもなく、ときどきはギョッ!とさせられたりさせたりして人は生きてゆくのだ」
ギョッ!とするファッション。それは、どんな言葉と通い合うのでしょう。見てみたいものです。
(聖生清重)