FISPA便り「輝きをもう一度」

 東京ファッションデザイナー協議会(CFD)の議長交代の記事を目にしました。去る7月29日に定時総会で代表理事・議長にファッションジャーナリストで杉野服飾大学特任教授の久保雅裕氏が就任したとのニュースです。「そうか。(CFDが)あったのだなあ」というのが記事を見ての率直な感想でした。続いて思ったことは「輝きをもう一度」でした。

 CFDは、DC(デザイナー・キャラクター)時代とも称されたように、デザイナーブランド、キャラクターブランドが急速に発展し、ファッション業界にとっては「黄金の80年代」ともいえる1985年に発足しました。日本を代表する世界的なデザイナーの三宅一生氏が代表幹事に、有力デザイナーがこぞって会員に名を連ねました。

 特設テントを張って行ったコレクションショーは、その後20年近く続き、東京をパリ、ミラノ、ニューヨーク、ロンドンと並ぶファッション都市に、との目的に向かって歩みました。しかし、2005年に、日本ファッションの世界への発信の中核が官民一体で発足した、日本ファッション・ウィーク推進機構(JFW)に移行した以降は、CFDは次第に忘れ去られた存在になってしまいました。くだんの記事によると、現在の会員数は15人です。

 CFDの37年の歴史の流れを概観した時、発足時の熱気、特設テントでのファッションショーの盛り上がり、日本ファッションを世界への高揚感が懐かしく思い出されます。当時の熱気は、テキスタイルも含めて繊維・ファッション産業の国際競争力を強めるのが目的のJFWに引き継がれていると思いますが、その中で、CFDは、今後、どこに向かうのでしょう。

 「輝きをもう一度」の言葉は、言葉としては存在しますが、多分、現在のCFDにとっては、極めて困難な課題だと思われます。記事は、今後のCFDの活動について、東京オフスケ(オフスケジュール)コレクション、東京メンズコレクションの検討やJFWの公式スケジュールに参加できないデザイナーへの働きかけ、などを推進すると報じていますが、「輝きをもう一度」に一歩でも近づくことを期待したいと思います。

 人々が生活するうえで不可欠な心の充実のために必要なファッションは、同時に、先進国にふさわしい都市型産業であり、観光大国に必須な文化にも関連していると思うからです。その重責を担うファッションデザイナーは、年2回、新作が評価される(評価されても販売につながる保証はない)過酷な世界に生きています。ポストコロナの社会では、そうした過酷な営みが報われることを願っています。                     

  (聖生清重)