FISPA便り「人々を幸せにする産業」

  コラムとは「その人にしか書けないもの」。ある詩人のコラムで知ったこの説に納得しています。「FISPA便り」は、その教えを実践できたかどうかはわかりませんが、いつも心がけてきたつもりです。

  筆者は日本繊維新聞社で1970年から40年、記者を続けてきました。数えきれない繊維人、ファッション業界人、国や地方自治体の担当者、ファッションデザイナー、学校関係者や繊維ファッションの科学・技術者など幅広い分野の専門家にインタビューしてきました。

  時には、居酒屋で「繊維産業論」、「ファッション産業論」を議論したり、その時代の最先端の生産工場を見学したり、あるいは、海外の繊維ファッション業界事情を取材したこともあります。

  そうして得た情報は、所属していた「日本繊維新聞」に書き続けてきました。しかし、膨大な情報やインタビューのすべてを記事にしたわけではありません。記事にならなかった情報もありますし、記事にはならないものの、記録に残しておきたい、ちょっとした話題もあります。なかでも、業界リーダーだけでなく、現場で働いている業界人が体験から紡ぎ出した「珠玉の発言」は、可能な範囲で書き残したいと思いました。

  「FISPA便り」は、2011年、あの東日本大震災が襲った年にスタートしました。当時、繊維産業流通構造改革推進協議会(FISPA)会長だった馬場彰さん、専務理事だった阿部旭さんの「40年も繊維ファッション業界で記者をやってきたんだから、書き残したことがあるんじゃないの。FISPAのHPにコラムを書かない」との一言がきっかけでした。

  以来、「現在でも通用すると思われる先人達の発言やエピソード、事業に対する考え方、あるべき産業論、こぼれ話などを、その時々の話題にひっかけて書いてきました。気がつくと、あれから12年の月日が流れ、「FISPA便り」の本数は392回になっていました。

  「その人にしか書けないもの」の説にふさわしかったかどうか、心もとないのですが、それはさておき、直近のコロナ禍は「繊維ファッション産業とは、人々の身体を守り、心に寄り添い、人々を幸せにする産業であり、平和産業である」ことを改めて、知らしめたのではないかと思います。執筆時には、いつもそうした思いを秘めていました。

  現場をはなれた元記者が書いたコラムを現役バリバリの繊維ファッション業界人の皆様が読んでくださるのかどうか、心配しながらの12年間でしたが、時には励ましの言葉もいただきました。執筆の機会を与えてくださった馬場さん、阿部さん、現会長の大澤道雄さん、専務の石井洋典さん、事務員の上島香さん、そして、何よりも読んでくださった方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。今回でペンを置きます。                        

    (聖生清重)