FISPA便り「転機はルイ・ヴィトン・ジャパンの設立」

三陽商会が40年以上にわたって育ててきた「バーバリー」ブランド。来年6月に英国・バーバリー社と結んでいたライセンス契約が終了します。かねて予想されていた事態だとは言え、改めて「ライセンスブランド」の冷酷、非情さを痛感したファッション業界関係者が多かったに違いありません。

主として西欧の高級ブランドの日本におけるビジネス史について、日本のファッションブランドビジネスの先覚者で(株)サンモトヤマ創業者の茂登山長市郎さんは、著書「江戸っ子長さんの舶来屋一代記」でこう振り返っています。

「転機は昭和56年(1981)年のルイ・ヴィトン・ジャパンの創設による路面店開設、直営・直売方式。それまでは世界のブランドの日本代理店のほとんどは卸し専門の問屋で、百貨店や主な専門店を相手にビジネスが成り立っていた。そこへ彼ら(ブランドメーカー)の直営店ができた」

西欧のブランドは、1970年代の日本のアパレル産業の成長期に大きな役割を果たしたことは間違いありません。しかし、苦労して育てたライセンスブランドが、市場で認知され相応の売上げを獲得するようになったとたん、本国のブランド企業は、ライセンス契約を解消して、いわゆる「ジャパン社」を設立し、直営・直売に移行した例は枚挙にいとまがないほどです。

茂登山さん自身、類まれな審美眼で発見し、日本に紹介したブランドが、一定規模に育ったとたん、契約を解消された苦い経験をしていますが、そうしたブランドの冷酷さ、非情さはすでに80年代から予見できていたのでしょうか。

伊藤忠商事社長の岡藤正広さんは、繊維カンパニープレジデントだったころ、ブランドビジネスで収益モデルを確立した立役者ですが、当時、こう話していました。「導入するブランドは、会社ごと買収するか、契約では万一の場合、裁判で絶対に負けない契約内容にする」。ブランドビジネスの本質をつかんでいたと言えるでしょう。

それにしても、そもそも「ブランド」とは何なのでしょう。岩波新書「ブランドの条件」にこんな記述がありました。「ブランド現象とは、『贅沢の大衆化』なのだ」。ラグジュアリーブランドは「大衆が嫌い」?

(聖生清重)