FISPA便り「繊維輸入が途絶えた日」

 もう40年以上前のことですから、忘れてしまったり、その事実さえ知らない方も多いでしょう。1973年秋に勃発した第一次石油ショックの際の「モノ不足」のことです。石油価格が暴騰し、石油不足による「モノ不足」の大波が押し寄せる、との恐れから必需品を買い求める消費者行動の結果、スーパーというスーパーの棚からトイレットペーパーがなくなってしまったのです。「狂乱物価」なる新語も生まれました。

 発端は、第4次中東戦争ですが、その前年には民間シンクタンクのローマクラブが「成長の限界」を発表し、「資源と地球の有限性からくる成長の限界」への警鐘を鳴らしていました。繊維素材も羊毛、綿花、合繊などすべての価格が倍々ゲームのように暴騰したことを記憶している方もいらっしゃるでしょう。ただし、その後は、「山高ければ谷深し」の相場の格言を地で行く暴落に見舞われました。トイレットペーパーも、不足にはいたらず、やがて何事もなかったかのように豊富に出回るようになりました。

 この時、信州大学繊維学部のOB有志が、あるシミュレーションを行いました。「万一、繊維原料の輸入が途絶えたとしたら、日本はどれだけの量の繊維原料を確保できるのか」を試算したのです。国立大学で繊維学を学んだ者として、「国民生活の必需品である繊維品を国民に供給するとの使命を果たせる方策はあるのか」との問題意識でした。

 養蚕は国内で可能だから、必死に増産する、桑の木などの木材セルロースで繊維をつくる、羊の飼育も増やす、古着からの再生繊維をフル活用する、といったように国内で可能な繊維供給量を試算しました。結果は、必要量のわずかしか供給できない悲惨なものだったそうです。

 この話を教えて下さったOB氏は、すでに鬼籍にはいっていますが、何故、こんな昔話を思い出したかと言いますと、ある統計を見ていたからです。日本繊維輸入組合がまとめた2014年の「衣類(布帛外衣、布帛下着、ニット外衣、ニット下着)の生産と輸出入の推移」によりますと、衣類の輸入浸透率は97.0%です。前年から0.2ポイント上昇したことになります。

これを実数で見ると、国産アパレル製品が1億2000万枚で、輸入品が37億7400万枚です。国産品もその原料である綿花、羊毛など大半は輸入品です。で、ふと、この輸入が途絶えたら、との妄想が頭をよぎったのです。

 相互依存が進んでいる現代の国際社会で繊維品の輸入が途絶えることは考えられません。だから「妄想」なのですが、だとしても「国産比率3.0%」は、いかにも低いと思います。泉下のOB氏は、どう思うでしょう。

(聖生清重)