FISPA便り「別れと出会いの季節に」

 春は出会いと別れの季節です。子供さんがおられる家庭では、新入学や進学があり、子供たちは新たな世界に踏み出します。会社員の中には定年を迎える人、人事で新たな部署や海外に向かう人。新入社員は、一抹の不安をかかえながらも、希望に胸をふくらませている人も多いことでしょう。

 人の一生は、思えば、新たな人と人との出会いの連続のように思えます。年度末の春は、卒業や定年に伴う別れの季節であることは間違いありませんが、それよりも「新たな出会い」の季節の色合いが濃いように感じます。この時期、次第にふくらんでくる桜花のつぼみは、未知の人との出会いという新たな希望を示唆しているのかも知れません。

 そんな季節にふさわしくない話題かも知れませんが、特に、新しい部署に移った人や新人諸君には「NO梗塞」防止を呼びかけたいと思います。ある新聞のコラムの孫引きですが、飲み相手が同僚ばかりで話題もウワサか簡単な事務の会社員は「人脈硬化」になり、同じコースでのみ通勤して、上司からの指示待ちの会社員は「勤力低下」をきたし、その結果、前例踏襲ばかりで変化・挑戦をしない「NO梗塞」になりかねない、ということです。うまいことを言うもんだなあ、と感心した次第ですが、この心構えは新人への行動指針にもなるのではないでしょうか。

その一方で、長年仕事人間だった人が、引退し自由人になった以降の生き方です。引退後の人生では「キョウヨウ」と「キョウイク」が大事なのだそうです。「教養」と「教育」ではありません。「今日、(何らかの)用がある」という「キョウヨウ」と「今日、(どこかに)行く」の「キョウイク」は確かに重要でしょう。

その昔、定年後、終日家でごろごろしている亭主族は「濡れ落葉」と揶揄され、酒席での格好の話題になったことがありました。今流に言えば「キョウヨウ」もなければ「キョウイク」もないとそうなりかねない、ということなのでしょうが、「NO梗塞」にならないためにも、若者から高齢者まで、誰もが新たな出会いを求めて、これまでとは違った世界に新たな一歩を踏み出したいものです。         

(聖生清重)