FISPA便り「仙厓の禅画に見る達観」

 仙厓という禅僧の禅画は、だれもがどこかで目にしたことがあると思います。毛筆で墨を使って、一見すると無造作に描いた墨絵に漢字やひらがなで何やら、意味がありそうな言葉を添えた書画です。

  良く知られている「布袋図」。太めの体、短足、腹が出て、丸い顔の布袋となにやら楽しそうな男児。布袋は右手で上方を、男児は両手を空に向けて上げている。表情は、この上なく無邪気で、布袋は口を大きく開いている。かわいい、ゆるキャラ、ほのぼの、と言った印象をだれもが抱くにちがいない絵。二人で月を見上げているのですが、ちょっととぼけた感じです。この絵には何か、深い意味があるのでしょうか。

  仙厓は、寛延3年(1750)に美濃で生まれ、39歳の時、博多の聖福寺の住職になり、以来、博多で過ごしました。文化8年(1811)、聖福寺の境内の一角にあった虎白院に隠居し、88歳の長寿をまっとうするまでの25年間に膨大な禅画を制作しました。隠居後の長い第二の人生を禅画制作と友人・知人との交友に明け暮れたのです。

  仙厓の「無法」の書画を通覧する、とのキャッチコピーに誘われて先ほど、東京・有楽町の出光美術館で開かれた「仙厓礼賛」展を見ました。感心したのは「双鶴画賛」と題した一品。首を上げた鶴と下に下げた鶴の二羽を描き「鶴は千年、亀は万年、我は天年」と記されていました。江戸時代後期では珍しい88歳まで生きた仙崖が人の寿命をどのように受け止めていたのかがわかるような気がします。

  「百寿老画賛」も秀逸だと思います。「死神が呼びに来たが『99歳まで留守だ』と言って追い返した」そうです。見る人は等しく「ニヤッ」とするのではないでしょうか。老人になり、体が衰え、気力も乏しくなったかどうかわかりませんが「なるようになるさ」とうそぶいている仙厓が見えるようです。

  こんな作品もあります。一枚の紙に「□△○」が描いてあるだけ。添えられた文字は「扶桑最初禅窟」(日本最初の禅寺)。「海賊とよばれた男」のモデルである出光興産創業者の出光佐三が好きだったそうですが、はて、さて、仙厓は何を表現したかったのでしょう。「宇宙(ユニバース)」、真言密教の「地・火・識」との説があるそうですが、どうなのでしょう。見る人が感じたままで良いのではないでしょうか。

  くだんの「仙厓礼賛」ですが、筆者とほぼ同じペースで鑑賞していた80歳前後と思われる老紳士が時々、笑みを浮かべ楽しそうに鑑賞していた光景が忘れられません。 
                     

(聖生清重)