FISPA便り「どうも、すいません」
日本人は、日本人論が大好きなようです。日本人の精神構造はこうで、こんな特性がある。日本人は世界の他の民族に比べてこんなところが劣っていて、こんなところが優れている、外国人は、日本人をこのように見ている、とか。この種の本は書店の棚のいい場所を占めているように思えます。イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」は、ネット社会では、忘れ去られたかも知れませんが…。
そんな日本人論のひとつに、日本人は「あいまい」を好む傾向がある、との説があります。証拠は、日本人がよく使用する言葉にある、と。
「どうも、どうも」。何かをしてもらったり、何かをいただいたり、お願い事を聞いてもらったり、席を譲ってもらったりした時、おそらく多くの日本人は「どうも」とか「どうも、どうも」との表現で感謝の意を表するでしょう。
「どうも」と仲の良い言葉は「すいません」でしょう。他者に不快感を与えた際は「すいません」。電車で席を譲ってもらったら「どうも、すいません」。プレゼントをいただいた時も「すいません」。もしくは「どうも、すいません」。
この言葉もよく使われます。「よろしく、お願いします」。もう少し丁寧に「よろしく、お願い申し上げます」。メールのやりとりで、最後にこう記すケースは多いのではないでしょうか。会話の場面でも頻繁に使われていますよね。
もうひとつは「頑張ろう」。政治家は、与党も野党もこぶしを突き上げて「頑張ろう」と唱和するのがとりわけお好きなようですが、貴方も私も、つい「頑張ろう」とか「頑張って」と言ってしまいます。
「どうも」は、ムラ社会でしか通用しない。「すいません」は、まず他者の反応をうかがって。「よろしく」は、他人依存。「頑張ろう」は、誰かがやるだろう。てな、話ですが、今回はへんな話題で「どうも、すいません」。次回の「FISPA便り」は頑張りますので、よろしくお願いします。
(聖生 清重)