FISPA便り「新井淳一の魂を包む布」

 日本を代表するテキスタイル・プランナー、新井淳一さんが死去して3年が経とうとしている今、桐生市の大川美術館で「新井淳一の仕事」展が開かれています。新井さんの友人のわたなべひろこ氏(多摩美術大学名誉教授)の寄付によって同館が収蔵している、世界的に評価の高い1980年代以降の布122点から厳選した「新井の布」を紹介するものです。

 新井さんについては、「FISPA便り」で、過去に3回、記しました。その仕事、人となり、ファッション業界における功績にも触れました。例えば、先日亡くなった山本寛斎さんもデザイナーとしてデビューした当時は、新井さんの独創的なテキスタイルが大きな役割を果たしました。寛斎さんの訃報のニュースに接して思い出したことは、寛斎さんの度肝を抜く大イベントと寛斎さんの繊細な気配りでしたが、続いて新井さんの仕事も連想しました。

 大川美術館の展覧会の副題は「未だ見ぬ布をつくる」。ちらしにも採用された「メルトオフ・転写メタリック織物〈正方形〉1984年」は広大な宇宙を形にしたように見受けられます。ウールなど天然素材の多重組織の布は、土俗的で人の生の根源に迫るように感じられます。「魂を包む布」とのわたなべさんの評が納得できます。

 新井さんの創造的なテキスタイルは、伝統的な手技(わざ)、最先端技術、未知への挑戦のどれが欠けても成就しなかったでしょう。筆者はかつて、新井さんから見せていただいた金属繊維のオブジェというかアクセサリーが忘れられません。黒い色は深みがあり、光沢があり、まさしく見たことのない質感でした。金属なのですが、手に取ると意外に軽かったことを覚えています。

 今回の展覧会を見て思ったことは「新井さんはやはり、アーティストだったのだなあ」ということでした。新井さんの「創造」という仕事は、おそらくアートとビジネスの境界線があいまいで、新井さんも時に両者のバランスをとるのに苦労していたのではないか、と思いました。

 しかし、そうであっても「新井さんの布」を見ながら、思い出していたことは「物心ついた頃は糸箱(実家の機屋にあった糸を入れる箱)で遊んでいた」と話していた時の新井さんの心底うれしそうな笑顔でした。自由に創造的な仕事をする。その行いは心の底からの喜びだったのではないか、とも思いました。

 夢を語り、夢を追い続けた新井さんの仕事。コロナで疲れた心を癒してくれるでしょう。都府県をまたぐ移動にはちゅうちょするご時世ですが、仕事で桐生産地に足を運んだ際は、是非ともご覧いただきたいと思います。

 会期は7月23日から9月27日(月曜休館)。       

2012.4.11「新井さんの名誉博士号を祝う」
2015.9.17「新井淳一さんの履歴書と夢」
2017.10.3「新井淳一さん逝去に思うこと」

(聖生清重)