FISPA便り「我是 不是 我的我」

 以前、繊維ファッションSCM推進協議会のセミナーでも講演したことのある読売新聞特別編集委員の橋本五郎さんのコラム「五郎ワールド」は9月5日付で、去る7月30日に死去した台湾の元総統李登輝さんの人と業績を紹介していましたが、そのコラムで李さんが揮毫した「我是 不是 我的我」を刻んだ記念碑が秋田県の山間にある一軒宿の中庭に置かれていることを知りました。

 橋本さんは、「李登輝さんは私が出会った政治家の中で五指に入る偉大なリーダーでした」と書き、その理由を明解に述べていますが、筆者は何度もうなずきながら読み、早速、切り抜いて保存しました。

 「我是 不是 我的我」(私は私でない私)とは、深い愛で他者を許す神を宿すことによって自己中心的な自我が消え、他者を思う心が生まれる。これを私は「私ではない私」と表現する。そこに私を超えた「無私」の境地があります。私のためではなく「公」のために働くことの大切さを表現した言葉でもあります。山宿の女将のために揮毫した「私は私でない私」は、李登輝さんの奥深い人生観であり、まさに李登輝哲学だとのことですが、だからこそ台湾の民主化を成し遂げることができたのだと得心しました。

 このコラムを読んで、突然、繊維記者だった時、東レ科学技術振興会が運営する東レ科学技術賞の授賞式で耳にしたノーベル賞受賞者である野依良治さんのあいさつを思い出しました。東レ科学技術振興会は科学技術の振興に努めており、今年で創立60周年になります。科学技術研究助成受領者・科学技術受賞者のうち、後のノーベル賞受賞者は5人にのぼるそうですから、その値打ちの高さがわかります。

 野依さんはその授賞式で画家のポール・ゴーギャンの傑作の作品名である「我々はどこから来たのか 我々は何か 我々はどこへ行くのか」を引いたのです。この絵はゴーギャンがタヒチ滞在中に描いたもので、ゴーギャンの画業の最高傑作だとされていますが、それはそれとして、その問いの答えは容易にはみつからず、いろいろ考えさせられるものであることは間違いないのではないでしょうか。

 野依さんは、科学研究は深く研究すればするほど、ゴーギャンの問いのような深い部分での考察が大事になる、といった趣旨を述べたと記憶していますが、高名な科学技術者の発言だけに、「我々はどこへ行くのか」の問いとともに強く印象に残っています。

 コロナ禍で誰もが日々の営みや生き方を模索しているのではないでしょうか。一介の元繊維記者が大層なことを申し上げるつもりはありませんが、李登輝さんの「我是 不是 我的我」はゴーギャンの「どこへ行くのか」の一つの答えだと思いました。まったく個人的な感想ですが。 

       (聖生清重)