FISPA便り「東京オリンピックのデザイン」

 日本が焦土から奇跡的な復興を遂げ、「黄金の60年代」と呼ばれる高度経済成長をひた走る契機となった東京オリンピック。1964年10月10日。快晴の東京・代々木の東京国立競技場のグラウンドを胸を張って整然と入場行進した日本選手団の光景を覚えている方も多いことでしょう。

 金メダルに輝いたバレーボールの東洋の魔女、マラソン3位の円谷幸吉。いまでも鮮明にまぶたに浮かぶ東京オリンピックは、デザインでも戦後日本のデザイナーが総力を挙げて取り組んだ一大プロジェクトでした。真っ赤な日の丸の下に金色の五輪の輪と「TOKYO1964」を配した亀倉雄策の第1号ポスター、陸上短距離のスタートダッシュをアップで撮った写真の第2号ポスターは、容易に思い出します。

 その東京オリンピックで使用したデザインを集めた展覧会が東京国立近代美術館で開かれています。表彰状、入場券、切手、聖火リレーのトーチ、施設案内のためのピクトグラムなど、日本デザイン界の総力を挙げた作品は、いま見ても実に新鮮です。

 入場行進で選手が着用した、あの真紅のブレザー。生地は大同毛織(現ダイドーリミテッド)のミリオンテックス。展覧会場に飾られた女子用ブレザーの襟ネームには「MILLION TEX」の文字が浮かんでいます。

 主催者から提示された日本選手団の公式ユニフォームの色は、東京の以前の地名である江戸を象徴する江戸紫でした。しかし、「日の丸の赤と白をイメージする真っ赤なブレザーと真っ白のパンツ・スカートを提案したところ採用された」のです。「ブレザー」の語源は「ブレイザー(炎)」。ケンブリッジ大学短艇部が真紅の上着を着て観衆をブレイズ(目を射る)したことに由来するもので“実績”は折り紙でした。

提案者の羽鳥嘉彌ダイドーリミテッド顧問は「ダイドーの130年を超える歴史の中で最も“愉快な出来事”だった」と述懐していますが、歴史に残る快挙でした。

「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」展は、5月26日(日)まで東京・竹橋の東京国立近代美術館で開かれています。御一覧をお薦めします。

(聖生 清重)