FISPA便り「前田さんの遺言」

 東レの中興の祖である前田勝之助元社長が亡くなりました。入院していることはお聞きしていましたが、エネルギッシュな前田さんのことですから、再び元気なお姿を現すだろう。そして、辛口の“前田節”をお聞きできる時がくるだろう、とその日を楽しみにしていました。が、その日はかなわぬ夢になってしまいました。

 前田さんの功績は、すでに各紙で報じられているように、名経営者としての誉が高いところに象徴されますが、筆者の独断で前田さんの功績を振り返りますと、次の3点に集約できると思います。

第一は、1987年に社長に就任するやいなや「繊維産業は、地球規模で見たら成長産業だ」と断言し、自説を断固として実践したことです。撤退の方向にあった東南アジア各地の繊維事業拠点を強化し、その後のグローバル・オペレーションで収益を生み出す道筋を確かなものにしました。当時、同業他社は「脱繊維」が合言葉で、繊維事業は縮小か撤退に舵を切っていただけに、前田さんの慧眼が光ります。

 第二は、日本繊維産業連盟会長として、繊維産業の構造改革、競争力強化に心血を注いだことです。「森(産業)がなければ、木(企業)は育たない」との理念から、とかく自信喪失気味の繊維産地の繊維人を鼓舞し、行政にも必要な支援を強力に訴えていました。東レという木も、森があってこそとの思いは、東レ繊維事業の好業績で証明済みでしたから、その説には説得力がありました。

 第三は、雇用を大事にしたことです。前田さんが社長のころ、日本の企業は円高で厳しい国際競争にさらされており、「リストラ」という名の人員削減が花盛りでした。大会社が「何千人を削減」といったニュースが報じられると、その会社の株価が上がるご時世でした。これに対して、前田さんは雇用を守ると宣言し、事業所や工場ごとに殖産会社を設立して、余剰人員を吸収しました。「人減らしを競うかのような「リストラの横行」を嫌悪していました。

 前田さんの信念と足跡は、いずれも繊維産業に対する遺言だと思います。酒とたばこが大好きで、ひとたび言葉を発すると、東レ、繊維産業、科学技術、国家の課題と未来をとどまることなく語り続けた熱血漢でした。合掌。

                                       (聖生清重)