FISPA便り「『日本の伝統』の正体」
雑学というものは、人気番組のNHK「チコちゃんに叱られる」もそうですが、気の合う仲間との肩ひじ張らない会話の場面にこそ最適ではないか、と思います。会話が弾み、アルコールも進むこと間違いないでしょう。しかし、そう親しい関係でない人や目上の人との会食の場などで雑学を披露すると「なんだ、その程度か」と思われるだけでなく、知ったかぶりの軽佻なヤツと思われること請け合いでしょう。
友人との飲食ができない昨今、本来なら親しい友人に「知ったかぶり」したい雑学が詰まっている本に出合いました。新聞の読書欄で知り、早速買い求めて一気に読みました。「『日本の伝統』の正体」(新潮文庫)です。読後感は、溜飲が下がったと言うか、長年、放っておいたもやもやした気分が晴れたと言うか、腑に落ちたと言うか、まあ、すっきりした気分です。
例えば、日常生活で当たり前と思われている風習、行事、などにつきまとう「日本の伝統」という言い方。法事の際、強いられてきた正座。膝や腰が悪い人はもう苦行そのものです。最近は、お寺での法事も椅子が用意されるようになりましたが、正座を強いられた法事(だけではありませんが)は苦痛以外の何物でもありませんでした。
その正座。一般的な座り方になるのは江戸中期だという。そのころには座布団も現在の形になって庶民の間に普及してきた。ただし、江戸時代の文献に「正座」という名前はなく、明治になってのことだそうです。「正座」という名前になって、たかだか140年。人体の血行を阻害する「正座」は「日本の伝統」ではない。そう言い切れる根拠を得た。筆者の勝手な読後感ですが。
そうした個人的な感想はともかく、同書によると、お正月につきものの初詣や重箱おせちは私鉄や百貨店のキャンペーンから生まれたそうです。クリスマスイブ、バレンタインデー、ハロウィンは「外国由来の伝統行事」ですが、百貨店やコンビニなどのキャンペーンがなければ定着しなかったでしょう。
そうなのです。「伝統」の言葉には「昔はよかった」との思いが詰まっています。世界的に著名なファッションブランドは、なべて「伝統」をうたっています。ブランドイメージに「伝統」という正当性を付加するとともに「よかった昔」を現代によみがえらせてくれる。それによってブランドや商品の需要創造、市場拡大を実現している、と言えるでしょう。
「日本の伝統」という言葉は、すなおに受け入れたいと思っています。ただし、権威主義者が持ち出す「日本の伝統」なる言葉は拒否したい。そんな思いを抱く方も少なくないのではないでしょうか。それにしても、自由に伝統行事を楽しみ、気の合った友と酒席を共にできる日常が一日も早く来ることを、と願う毎日です。
(聖生清重)