FISPA便り「エッセンシャルで思うこと」

 新聞やテレビのニュースなどで、エッセンシャルワーカーという言葉に出合うことが増えています。人々が日常生活を送るために欠かせない仕事を担っている人々をエッセンシャルワーカーと呼びますが、特に、コロナ禍で感染の不安と闘いながら献身的に任務を果たしている医療従事者や福祉の現場での働き手を指すことが多いようです。日常生活で発生するごみの収集に従事する人、治安維持に努めている警察、あるいは公共交通機関でさまざまな役割を果たしている人々もそうです。

 エッセンシャルを辞書で引くと「本質的、必須の、不可欠の」と出ています。それに「労働者」を意味するワーカーを加えた言葉がエッセンシャルワーカーですが、連日のように、コロナ感染に関するニュースで報じられるエッセンシャルワーカーの真剣な姿には頭が下がります。エッセンシャルワーカーという言葉の響きもよく、カタカナ語の氾濫には違和感を抱く方にも、この言葉はすんなりと受け入れられているように思えます。

 そんな「エッセンシャル」ですが、最近はファッション産業界でも「エッセンシャル」が使われています。ネットでファッション業界の動向をチェックしていると、ファッションビジネス評論やニュース解説などで「エッセンシャルな商品」とか「エッセンシャルなブランド」を開発する必要がある、といった分析、主張を目にします。人の移動の自粛が求められている時代での「日常生活に不可欠な」商品、ブランドを、ということですが、異論をはさむ余地はありませんね。

日常生活に不可欠な商品と言えば、人が身にまとう衣服や寝装・寝具、生活資材などの繊維製品はかねて「生活必需品」と言われてきました。繊維は人間生活に必須な「衣食住」の「衣」です、といった具合です。エッセンシャルな商品、エッセンシャルなブランドを、との指摘はまったく、その通りだと思いますが、その本質は昔も今も「衣食住の衣」なのだと改めて思います。

 暑さ、寒さや外傷から人の身体を守る。機能的で動きやすく、もちろん着やすい。耐久性にも優れる。適度のファッション性がある。価格もこなれている。そんな日常着。コロナ禍でも売れ行き好調なブランドを想起させますが、それはその通りだとしても、衣服に関するエッセンシャルで言えば、「こころの満足」もそうだと思います。

 コロナ禍でとかくこころが沈みがちな時代だからこそ、こころをときめかす力のあるファッションで味付けした服もまた、エッセンシャルなのではないでしょうか。  

(聖生清重)