FISPA便り「もどかしさ」

 先日、繊研新聞のコラムをネットで読んでいて「そうだろうなあ」と心底、共感したことがあります。ファッションショーで披露されるコレクション作品を報じる記者と思われる書き手が、コロナ感染防止のためのデジタルでのショーは、書くための情報量が少ないことから「感じる情報量を担保するためブランド側のプレスリリースを引用する」といった趣旨の内容でした。

 筆者は繊維・ファッション業界紙の現役記者だった頃、ファッション報道は担当外でしたが、それでも何度か「リアルのファッションショー」を見て、その記事を書いたことがあります。そのわずかな経験でも、デジタルでは書くための材料が限られることは十分にわかります。服の質感、色合い、あるいはショー会場の雰囲気、などなど。リアルとデジタルでは、その情報量に大きな差があることは否めません。

 そのコラムは「ファッション報道は、クリエイションと時代の間に立って、俯瞰して報道することが求められる。本格的なショーの再開が待ち遠しい」と結んでいましたが、デジタルにはデジタルの良さがあるものの、くだんの記者が吐露しているような「もどかしさ」が付きまとうように思います。

 そんな「もどかしさ」は、思えば、コロナ禍ではいたるところで、すべてとも言える現代人が、日々、感じていることでしょう。移動する。仲間と共食する。人が社会で生きてゆくための必要最小限の営みでさえ、「まてよ」と自制せざるを得ない状況が続いています。「自粛疲れ」は「国民病」、いや「地球市民病」と言えるほどまん延しているに違いありません。

 その一方では、日本でもワクチン接種の進展で、新しい局面に入ってきたように思えます。1都3県の感染状況は予断を許しませんが、全体的には改善に向かっているようです。日々、発表されているコロナ感染状況で、重症者数の減少が続いています。ワクチン接種がもたらした新局面であることを期待したいと思います。

 科学的な根拠なき楽観は慎まなければなりませんが、今月23日には東京オリンピックが始まります。オリンピックに関しては、先の都議選での争点になったように、賛否さまざまな意見があります。しかし、感染防止に万全を期して、「平和の祭典」をかみしめながら、限界に挑むアスリート達の躍動をリアルに感じたいと思っています。

 「もどかしさ」よサヨウナラ、と言える日を待ち望みながら、誰もがそう願っているのではないでしょうか。 

              (聖生清重)