FISPA便り「ブロークン・イングリッシュ考」
国境を越えての交流では、言葉の壁をどう克服するかが、いつも問題になります。去る、5月中旬にシンガポールで開かれたアジアファッション連合会(AFF)のシンガポール大会に参加して、改めて「言葉」の重要性に思いを馳せました。
AFFの加盟国は、日本、中国、韓国、シンガポール、タイ、ベトナムの6カ国です。公式会議、現地の専門家によるセミナーはもちろん、会議の合間やディナーなどでの会話はすべて「英語」です。筆者は年に一回各国持ち回りで開くAFF年次大会に10回連続して参加しています。ですが、残念ながら英語力に乏しく、各国からの参加者との交流が進みません。日本語が達者な、いつも参加する韓国の女性とばかり、日本語で交流しているのが実情です。
6カ国が参加する大会で、各国語の通訳を用意することは現実的には無理でしょう。そこで、セミナーでは日本語の同時通訳を付けるのですが、スピーチの内容が理解できる通訳になっていないのが現実です。
そんな不甲斐ないわが身を嘆いていたところ、気になる新聞記事を読みました。6月18日付朝日新聞夕刊の国際政治学者、藤原帰一さんのコラム「時事小言」です。藤原さんは日本の今は「翻訳文化の時代が過ぎて、日本語への引きこもり」状態にあるとして、こう述べています。「言語は思考を拘束する。日本語のみに頼ることで私たちの知識や思考が狭められていないのか、日本が世界の内弁慶に陥っていないのか」。
かつて、筆者は「グローバル・ランゲージは、ブロークン・イングリッシュ」とか言って、片言しか話せない自分を慰めていました。しかし、これでは「思考が狭くなる」のか、といささか暗澹たる思いで藤原さんのコラムを読みました。
日本のアパレルファッション業界は、かつて「マルドメ」と揶揄されたことがあります。「まるで、ドメスティック(国内)」の意です。わが身に振り替えて、さて、「脱・マルドメ」を図ろうか、いや、遅きに失したように思えるし・・・。思考が停止したようです。
(聖生 清重)