FISPA便り「自由の意味」
コロナ感染者数の多さに驚きながら、今年も、もうひと月が過ぎました。かねて、「2月は逃げる」、「3月は去る」と言われます。時間というものは、季節によって変わるものではないのですが、1月に続くこの時期の時間は、他の季節に比べて、ひときわ早く感じられます。2月は28日と、通常より日数が少ないことも理由かも知れませんが、入社、定年、卒業、入学に代表される節目の時だからでしょう。
ビジネスパーソンなら、3月期の年度末にかけて、何らかの成果をあげなければいけない、との気持ちが強まるでしょう。学生は入試の最中です。だれもが、ひとつの区切りを迎え、次の段階に踏み出す季節。だから、この季節の時間の流れが速く感じられるのでしょう。「逃げる」、「去る」とは、まさしく言い得て妙です。
さて、この時期、コロナ感染で「お家時間」が増えた方も少なくないでしょう。仕事のやり方もコロナの影響で以前とは違ったものになっているかも知れません。繊維・ファッション業界を含む、多くの業種で売り上げ不振などの悪影響を受けていると推察されます。
誰もが、困難に直面しているコロナ禍の時代。自由な行動が制約される不自由な時代にあって、その「自由」の意味に関して、胸にしみる言葉に出合いました。詩人の茨木のり子の「言の葉」(ちくま文庫)にあったのです。
「(自由の)意味が、やっと今、からだで解るようになった。なんということはない。『寂寥』だけが道づれの日々が自由ということだった」
3月の年度末で、長年のビジネス人生に区切りをつける方もいらっしゃると思います、「忙しい」、「忙しい」とせわしない日々を過ごしてきた人が、夢に見た「自由」を手に入れることができる。コロナが収まったら、行きたいけれど行けなかった旅に出かけよう。時間がなくて抑えていた好きな趣味も早速、再開しよう、などなど。
人生100年時代ですから、定年後も、まだまだ働く、という方も少なくないでしょうが、そうした人々も、いずれは「毎日が自由」の日々がやってきます。ところが、待ち望んだ「自由」とは、実は「寂寥だけが道づれの日々」だとは…
もとより、一口に「自由」と言っても。その受け止め方には個人差があるでしょう。しかし、自由な日々の道づれに「寂寥」以外の何かを準備しておくことも必要なのではないでしょうか。
しかし、茨木さんはこう続けています。「この自由をなんとか使いこなしてゆきたいと思っている」。
(聖生清重)