FISPA便り「新人デザイナー大賞に見る「30年」」

 「2013 TOKYO新人デザイナーファッション大賞」(以下、大賞と略す)アマチュア部門最終審査とプロ部門ジョイントショーが11月27日、東京・新宿の文化学園で開催されました。このイベントを見ながら、日本のアパレル産業の30年の歩みと東京が世界のファッションシティの座を確保するために必要なクリエーション人材のことを考えていました。

 今回の「大賞」は、オンワード樫山が1984年に創設した「新人デザイナーファッション大賞」から数えて30回目の節目に当たりました。オンワード主催が20回続いた後、日本ファッション協会、ファッション戦略会議(JFW=日本ファッション・ウイーク推進機構の前身)が主催、2008年からJFWと東京都との共催、2011年からは繊維ファッション産学協議会が引き継ぎ、現在の名称でプロ部門を新設しました。

 ショー形式の最終審査を見ながら考えたことは、「大賞」の歩みと重なる30年という時間に起こった急激な変化です。アパレル産業では、この間、急成長し、時代を席巻した有力企業が急速に低迷し、あるいは市場から退場を余儀なくされた企業も数多くありました。勃興から急成長へのスピードが速かった分、成熟もまた、急スピードでやってきました。そして、30年前には主流だった百貨店流通の縮小とネット販売に代表される新しい流通の成長という流通構造の変化、30年前には主流だった製造卸売業というビジネスモデルからSPA(製造小売業)モデルの全盛という変化が現在も続いています。しかも、次代はグローバル経済の時代です。

 「企業の寿命30年」説がありますが、この説に当てはまった企業、この説を覆しつつある企業は、どこが違ったのでしょう。わかったようなことを言えば「変化への適応」ということなのでしょうが…。

 もう一点。東京が世界のファッションシティになるための要件の一つは、東京から世界で活躍するクリエーターを輩出することでしょう。その点、今回の「大賞」には世界19カ国・地域から8,060点の応募があり、最終審査に残った25点のうち11点は外国人が占めました。日本人はもちろんですが、7年後にはオリンピックが開かれる東京から、世界的なデザイナーが次々と巣立ってもらいたいと思います。                 

(聖生清重)